社会の歯車になるという言葉についてふと考えてみた。

なますて!青年海外協力隊としてネパールで活動中のプラボードです!

日々の活動記録を中心に、ネパールのことや協力隊のことなどを書いています!

 

職場である土壌保全事務所の軒先でぼーっとしている時にふと考えたことをつらつらと。

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「社会の歯車になる」

大学時代、サラリーマン時代と何度か触れてきたこの言葉。なんとなくネガティブな響きがありますよね。でも最近はこの言葉を肯定的に受け入れらるようになって来た気がします。丸くなったとかそういう訳ではなく、自然と。

大学時代に抱いていたイメージ。「会社とかのために歯車になって馬車馬のごとく働く?そんなのは嫌だ!」まさに、自分が一個の小さな部品として人間扱いされず働かされる、そんな超ネガティブイメージがありました。

サラリーマン時代。少し社会の仕組みや自分の能力が分かってきた頃。ここが自分という歯車が合う機械だ!そう信じ入社。まさに一つの大きな機械仕掛けの中で、あてがわれたポジションに対し、自分という歯車を削ったり大きくしたり、回転を合わせたり、とにかく、一つの大きな機械が止まらぬよう、懸命に動きを合わせていました。当然とても窮屈に思う時もあれば、調子よく回っている時もありました。でも、自分という歯車がぴったり合う場所は自分では選べませんでした。言われた場所にどうにかして自分という歯車の形を無理やり変えるしか方法はありませんでした。でも、巷では、そういうことを「成長」とか言うみたいです。もちろん、いろいろなことを学べました。確実に、自分という人間に影響を与えました。でも僕は、ただただ、組織独自の習わしや文化に慣れること、うまく組織内を立ち回れるようになること、ただそれだけ身についたように感じていました。

青年海外協力隊になった今。大まかな要請内容はあるものの、基本的に活動は自分主体で決めていい。いわば、自分という歯車が合う場所を自分で見つけていいんです。でも反面、最初は困りました。だって、ここにはどんな機械があって、どこに自分という歯車が合う場所があるかわからないんですから。

そう、何もすることがないんです。あてがわれた仕事もなく、ただ事務所に行って同僚と雑談して、昼にカジャを食べて5時前に帰宅する。

何しに来たんだっけ?何度も頭をよぎりました。自分はここに必要とされているんだろうか?腐りかけました。

いや違う、まだ何もわからないだけだ。この場所はどんな機械仕掛けで動いていて、どんな歯車がどこに欠けているか。わからないだけだ。

だったら、いろいろ調べてみよう。

不思議と、気が付けば歯車が合う場所を探している自分に戻っていました。何かの役に立たせたい。自分という歯車を。錆びつかせたくない!そう叫んでいる自分がいました。

町の人に話を聞く。事務所の人に村に連れてってもらう。近くの育苗施設にも行ってみる。友達を作って情報を集めてみる。用もないのにFacebookのメッセージを送ってみたりする。隊員仲間に話を聞く。とりあえず、関係なさそうなとこだけど遊びに行ってみる。いろんなことをしながら、ここにはどんな機械があって、どんな歯車が欠けているのか、見つけようとしていました。同時に、自分という歯車はどんな形をしているのかも考えるようになりました。

あれ、あんなに歯車になることにネガティブだったのに、今は積極的にはまりに行こうとしている、、?とても不思議な感じがしました。

心の奥底ではこんな感情がきっと渦巻いています。

食うために歯車になるんじゃない。

自分がこの社会の中で存在するために歯車になるんだ。

自分の居場所を作るために、自分という存在を認識してもらいたいがために。

 

暖かい事務所の軒先でつい、思考が飛んでしまいました。

昔読んだ本の中にも、歯車問い考え方について書いてあったのを思い出しました。また読み直したい一冊です。これから社会人になる方も、一周回って今一度自分を見つめ直したい方にもおすすめです。

 

 

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